おきちゃんのブログ

読書が好きなので書評をしたり、社会問題について自分の考えを書いていきます。

お金の本質について考えてみた。

人間ってお金好きですよね。美味しいものが食べれたり、欲しいものが買えたり、

自分の欲望を満たしてくれます。

 

しかし、昔はお金というものは存在しなかったのです。昔の人たちは物と物を交換する物々交換が主流でした。

 

それでは、手間がかかるので、物やサービスの間に入り、その価値を数値化してくれるお金というものが現れました。

 

お金は誰もが共通認識する価値になったのですね。

 

ここで、ある男の例でお金の本質を考えていきましょう。

 

ある男は数多くの美女を自分のものにしたいという夢があります。一人ではないのです。数多くの美女を抱きたいというのがキーポイントです。

 

多くの美女は自分が魅力を感じた価値ある男にしか好意を寄せません。美女たちは「私の願いを叶えてくれればあなたのものになってもいいわよ」といいました。

しかし、この男はお金能力がありません。限りある人生の中でどうすれば複数の美女を自分のものにできるでしょうか?

 

もし、夢が「一人の美女を自分のものにしたい」だったら、そんなに難しくないと思います。

一人だったら、その美女が価値を感じるものを与えて自分に好意を寄せさせればいいのですが、人間の価値や好みをいうのはひとそれぞれです。

かっこいい男になって美女を自分のものにすればいい!という考えもありますが、この「かっこいい男」の定義も人間によってそれぞれです。優しい男、俺様系、塩顏、濃いめの顔

 

それぞれの美女のために、いちいち人格や顔面を形成し変えるのは時間と労力がかかります。

 

では、この男が能力お金を持ってない状態から、複数の美女の願いを一つ一つ叶えようとします。

 

一人の美女が「輝く宝石がほしい。」と言いました。そしたら男は宝石の原石を探しに旅に出なくてはいけません。そして、その原石を機械でピカピカに磨くか、それらの仕事をできる人にお願いして、その完成品を美女に渡します。

 

もう二人目の美女が「大きな家に住みたい。」といっています。そしたら男は家を建てるための材料を集め、そして、道具を使って家を建てるか、その仕事をできる人に建築をお願いして、その家を美女に渡します。

 

三人目の美女が「顔がかっこいい男と付き合いたい」といっています。そしたら男は自分の顔を整形なんてできないので、顔面整形手術ができる人にお願いします。その顔で美女の前に現れます。

 

もし、男の友人に宝石探し、人の建築、顔面の整形手術が得意な人がいたら、その作業をお願いすれば、時間と労力を省けます。もちろんお金は持っていないので、友人はあなたとの「信用」で仕事を引き受けてくれます。

 

でも都合よく、宝石探しや家を建てるのが得意な友人なんていないし、無料で引きうけてくれる優しい人間なんて仲々いません。大体の人は「わかった。その仕事引き受ける。その代わりあなたは私に何をしてくれるの?」というでしょう。そういったときに他者に提供できる自分の「能力」が必要です。

 

お金がない人は、他人からの「信用」や自分の「能力がとても役にたちます。

 

でも、美女の中には宝石が欲しい女、家が欲しい女、イケメンが好きな女など様々な人間がいました。自分の持っている信用や能力が、その人間の欲望を満たせるとは限りません。序盤でもいいましたが、人間の価値や好みというのは人それぞれなのです。

 

そんなときにお金という「誰もが共通認識する価値」を提供すれば話が早いです。お金があれば、宝石も買える。家も買える。労働力も買える。整形して美しい容姿を手に入れられる。だから人間は他人からの「信用」や自分の「能力」をお金に代えて生きています。

 

直接的ではなく間接的ですが、お金でエネルギーや時間も買えます。家まで歩いて1時間、タクシーに乗れば20分。もちろん歩けば無料ですが、体力も削られます。タクシーを拾えば歩くより、40分早く家に着きます。しかも体力も失いません。あなたはタクシー代金を払ったことにより、40分の時間や自分のエネルギーを間接的に手に入れることができたのです。

 

今回僕が出した例は極端で解りにくいものがありましたが、要するにこういうことです。

 

★まとめ★

・お金は誰もが共通認識する価値なので、人それぞれの価値を統一する道具でもある。

人からの信用自分の能力はお金に代わる。

・お金を使うと時間や労力が省ける。

 

今回は、お金様々な形で言い換えてみました。お金に対する解釈は人それぞれで良いと思います。あなたにとってお金とはなんですか?

 

今度は、「お金で買えないもの」について考えてみたいですね。