おきちゃんのブログ

読書が好きなので書評をしたり、社会問題について自分の考えを書いていきます。

取捨選択の大切さ

人間の命には限りがあります。その中で、選択はあなたの人生を決めます。

 

スティーブジョブズは「やること以上にやらないことを選んできた」といっています。

マーク・ザッカーバーグオバマもいつもファッションスタイルは同じで、選択に使うエネルギーを最小限に抑えています。

 

大きな功績を残したり、賢い人ほど、この取捨選択が上手いような気がします。

 

何を選んで、何を選ばないか、何を得て何を捨てるか、

 

世の中の全てはトレード・オフです。何かを得たいときは何かを失わなければなりません。

 

最近、僕は大学の卒業旅行に行くか、行かないか迷っていました。

家庭の事情や卒業旅行に行くメンバーの人間関係の問題もあり、「行かない」という選択をしました。

 

そのことにより僕が得たものは、時間だったり、お金です。

失ったものは、仲間との思い出くらいでしょうか?

 

別に一緒に行きたくない人たちの旅行に行くより、

旅費の10万円分を貯金しておいてもいいですし、欲しかったメガネを買えたり、外食にも行けます。

 

これを恋愛に例えても同じです。どうしても自分が手に入れたい女性がいたとします。

 

彼女にアピールするための、時間と労力、あとは彼女にアプローチする過程で自分の心が傷つく可能性もあります。

 

もし、付き合えたら、彼女とのお付き合いや楽しい思い出が待っているかもしれません。

付き合えなくても、デートプランや片想いの経験を得たと思います。そして、他の恋人に出会うチャンスができました。

 

付き合ったあとも、楽しい思い出は増えていくかもしれません。

しかし、彼女のために時間とお金は消えていくでしょう。

 

常に選択というのは何かを得て何かを失っているのです。

 

あなたが今、何か多くを得ているなら、何かを多く失っているでしょう。

あなたが今、何かを多く失っているなら、何かを多く得ているでしょう。

 

常に物事の選択をするときは得るものと失うものを意識したいですね。

トランプさん、オラオラしないでください。

アメリカ大統領選挙、トランプが勝ちましたね。

 

トランプはメキシコに対して「国境に万里の長城を造る」、他にも「すべてのイスラム教徒のアメリカ入国を拒否すべきだ」と過激な発言を繰り返しています。日本に対しては「日米安保条約は不公平だ」「安倍は米経済を殺した張本人だ」など敵対的な発言をしています。

 

この数々の過激な発言は、選挙に当選するためのパフォーマンスだったのでしょうか?

大統領になってからも、このようなやり方で外交をしていくのでしょうか?

 

これからアメリカが過激な政策をとると、他国も敵対心を抱いていきます。

アメリカが右傾化し始めると、他国も右傾化していきます。

 

21世紀はグローバルになり、国境の境目が薄くなってきたような気がしますが、

まだまだ、国境の境目は存在しています。ある国がある国に牙を向けば、その境目は濃くなっていくでしょう。

 

自国の利益ばかり優先する国は他国から嫌われます。

 

日本も江戸時代に国益を重視し、鎖国をして資本が海外に流れていかないようにしていました。

 

幕府はスペインやポルトガルとの貿易を禁じたり、キリスト教の台頭を牽制し、踏み絵を始めました。

 

しかし、ペリーが浦賀に来航して、江戸幕府は200年の続いた鎖国は終焉を迎えました。

 

それから、日本に西洋文明が流れ込み、技術が発達していきました。

貿易も活発になり、日本は外からの影響で発展したのです。

 

鎖国は資源が海外にあまりいかないので、国内の経済活動が活発になります。

しかし、海外情勢に無知になったり、他国の技術や資源が入ってきません。

 

アメリカ経済が厳しくなっているのは分かりますが、他国を威圧してばかりでは

 反感を買ってしまいます。鎖国していた日本のように孤立してしまいます

 

アメリカは心を開き、他国の良い影響を受け入れ、向上していくべきです。

 友好的な外交政策で他国との連携を強化し、問題を解決していってほしいです。

物事の捉え方をボジティブに解釈する

僕は中学の時、陸上部に所属していました。練習は毎日しんどいし、顧問は理不尽なことですぐキレる
こんな部活やっていても意味ないし、何も将来の役に立たない。無駄なことをしていると思っていました。
 
しかし、今になって冷静に考えて、このつらい経験があったからこそ、体力的にきついことは耐えれるようになり「あの苦しさに比べればマシだと思うようになりました。」
 
それに、あの理不尽な顧問と接した経験があるからこそ、たまに矛盾している人間に遭遇しても
「あぁ、こんなやつ昔いたな」と寛容な心で接することができるようになりました。
 
今では、陸上部に入ったこと、理不尽な顧問に出会えたことを感謝できるようになりました。
 
とらえ方によれば、辛く苦しかった経験は自分の背中を押してくれる糧になります。
 
あなたの辛く苦しかった経験も解釈によってポジティブなイメージに変えていきましょう。

本能と理性

本能と理性

 

人間は本能と理性の間に生きている生物だと思います。

 

心はGOと思っても頭がブレーキをかけることは日常でよくあります。

 

最近、芸能界の不倫騒動が多発しています

 

なぜ、不倫はいけないのでしょうか?

 

生物的には一人ではなく複数の異性を好きになるのは自然だと思います。

 

不倫が本当にいけなかったら、不倫したものを懲役何年かなど法律で裁けばいいと思います。

 

でもそうしないのは、不倫はいけないことだと言いながらも、どこかでしょうがないことだと思っている人が多数ではないのでしょうか、

 

不倫が非道で道徳に反した行為なら、殺人や窃盗のように法律で取り締まればいいと思います。

 

もし、一人の人間と交際をしながらも、他に好きな人ができてるのは、生物としては普通です。

 

もっと人間はヒト科という生き物なのですから、自分の本能に素直に生きてもいいと思います。

 

僕も動物のオスですから、女と性交をしたいと思ったり、人を傷付けたいと思う、ある程度の攻撃性みたいのはあります。人間なら誰でも持ってると思います。

 

人を殺したいと思ったり、レイプしたいと思ったりするのは、思想は自由であっていいと思います。実際にそういったものを題材にした作品は人々を楽しませています。

 

ただ思想で止まらず、現実世界で行動してしまったら法で裁かれ、罰がかせられます。

 

法律は人々の理性の集合体であり、道徳であり、秩序であります。

 

もう少し、人間は本能を大切にしてもいいのではないでしょうか?

 

自分の願望を叶えるため必死になっていたら、道徳や倫理に反し、気づいたら法を犯していたなんてこともあると思います。

 

そのときは、あたふたせずに、裁判官などの法のプロに判断を任せればいいのです。そして与えられた罰を素直に受け入れればいいのです。

 

どうせ最後には人間は死にます。もう少し、あなたという唯一無の生命体の感情や心を尊重して本能に素直になってはいかがですか?

 

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お金の本質について考えてみた。

人間ってお金好きですよね。美味しいものが食べれたり、欲しいものが買えたり、

自分の欲望を満たしてくれます。

 

しかし、昔はお金というものは存在しなかったのです。昔の人たちは物と物を交換する物々交換が主流でした。

 

それでは、手間がかかるので、物やサービスの間に入り、その価値を数値化してくれるお金というものが現れました。

 

お金は誰もが共通認識する価値になったのですね。

 

ここで、ある男の例でお金の本質を考えていきましょう。

 

ある男は数多くの美女を自分のものにしたいという夢があります。一人ではないのです。数多くの美女を抱きたいというのがキーポイントです。

 

多くの美女は自分が魅力を感じた価値ある男にしか好意を寄せません。美女たちは「私の願いを叶えてくれればあなたのものになってもいいわよ」といいました。

しかし、この男はお金能力がありません。限りある人生の中でどうすれば複数の美女を自分のものにできるでしょうか?

 

もし、夢が「一人の美女を自分のものにしたい」だったら、そんなに難しくないと思います。

一人だったら、その美女が価値を感じるものを与えて自分に好意を寄せさせればいいのですが、人間の価値や好みをいうのはひとそれぞれです。

かっこいい男になって美女を自分のものにすればいい!という考えもありますが、この「かっこいい男」の定義も人間によってそれぞれです。優しい男、俺様系、塩顏、濃いめの顔

 

それぞれの美女のために、いちいち人格や顔面を形成し変えるのは時間と労力がかかります。

 

では、この男が能力お金を持ってない状態から、複数の美女の願いを一つ一つ叶えようとします。

 

一人の美女が「輝く宝石がほしい。」と言いました。そしたら男は宝石の原石を探しに旅に出なくてはいけません。そして、その原石を機械でピカピカに磨くか、それらの仕事をできる人にお願いして、その完成品を美女に渡します。

 

もう二人目の美女が「大きな家に住みたい。」といっています。そしたら男は家を建てるための材料を集め、そして、道具を使って家を建てるか、その仕事をできる人に建築をお願いして、その家を美女に渡します。

 

三人目の美女が「顔がかっこいい男と付き合いたい」といっています。そしたら男は自分の顔を整形なんてできないので、顔面整形手術ができる人にお願いします。その顔で美女の前に現れます。

 

もし、男の友人に宝石探し、人の建築、顔面の整形手術が得意な人がいたら、その作業をお願いすれば、時間と労力を省けます。もちろんお金は持っていないので、友人はあなたとの「信用」で仕事を引き受けてくれます。

 

でも都合よく、宝石探しや家を建てるのが得意な友人なんていないし、無料で引きうけてくれる優しい人間なんて仲々いません。大体の人は「わかった。その仕事引き受ける。その代わりあなたは私に何をしてくれるの?」というでしょう。そういったときに他者に提供できる自分の「能力」が必要です。

 

お金がない人は、他人からの「信用」や自分の「能力がとても役にたちます。

 

でも、美女の中には宝石が欲しい女、家が欲しい女、イケメンが好きな女など様々な人間がいました。自分の持っている信用や能力が、その人間の欲望を満たせるとは限りません。序盤でもいいましたが、人間の価値や好みというのは人それぞれなのです。

 

そんなときにお金という「誰もが共通認識する価値」を提供すれば話が早いです。お金があれば、宝石も買える。家も買える。労働力も買える。整形して美しい容姿を手に入れられる。だから人間は他人からの「信用」や自分の「能力」をお金に代えて生きています。

 

直接的ではなく間接的ですが、お金でエネルギーや時間も買えます。家まで歩いて1時間、タクシーに乗れば20分。もちろん歩けば無料ですが、体力も削られます。タクシーを拾えば歩くより、40分早く家に着きます。しかも体力も失いません。あなたはタクシー代金を払ったことにより、40分の時間や自分のエネルギーを間接的に手に入れることができたのです。

 

今回僕が出した例は極端で解りにくいものがありましたが、要するにこういうことです。

 

★まとめ★

・お金は誰もが共通認識する価値なので、人それぞれの価値を統一する道具でもある。

人からの信用自分の能力はお金に代わる。

・お金を使うと時間や労力が省ける。

 

今回は、お金様々な形で言い換えてみました。お金に対する解釈は人それぞれで良いと思います。あなたにとってお金とはなんですか?

 

今度は、「お金で買えないもの」について考えてみたいですね。

 

多様性を受け入れよう

 

わたしが幼少期の頃、両親は頻繁に口喧嘩をしていました。いつも声を大きな声を荒げ口論する姿を見ていました。

 

このとき、争いは悲しいことだと頭に植え付けられました。それから私は争い事を避けるようになりました。人と意見が衝突したときは、自分の意見をしまうか、相手の意見を弾き返すのではなく、クッションのような心を持ち、受け入れるようになりました。

 

 

自分の意見もあるけど、この人の意見もあるものだと、二つの意見どちらも認めることにしました。多様性を受け入れるのです。

 

ですので、私は多くの物事についてはYesマンのため白黒はっきりしないと思われがちです。それでも争うよりはマシなのです。

 

私にもしっかり意見を持つときはあります。そのときは自分の意見をぶつけるよりかは、

相手に「私はこういう意見なんだけどどう?」と柔らかく問いかける感じです。相手を力でねじ伏せるようなことはしてはいけません。力でねじ伏せ一時的に勝ったつもりでも、相手の心に不満や憎しみが溜まり反乱が起こります。

 

物事には必ず二つの側面があり常に表と裏があります。

 

2を無理やり1にするのではなく、2は2のままでいいではないかという、寛容な心をもつのです。

 

違いや多様性を受け入れる人間になれれば、世界から争いごとはなくなるはずです。

 

過去なんて振り返るな!はホントにそう?

近々、同窓会があるのですが、僕は同窓会があまり好きではありません。

 

僕は過去の思い出を大切にしているので、みんながそれを忘れていたりすると、悲しい気持ちになるのです。みんなが仕事の話をしていると「あぁみんな大人になっちゃったなぁ~」嬉しいより悲しい気持ちが大きくなります。

 

みなさんは旧友と会ったとき、「今の仕事や近況」話をしますか?」それとも「在学時代の思い出」を話しますか?どちらとも話すと思いますが、どちらの比率が多いですかね?

 

時が進んでいくたびに、学生時代の思い出は色あせてしまい、みんな仕事の話ばかりし始めます。

 

僕が中学時代の友人と三人で久しぶりに飲んだ時も、僕以外の二人は同じ職業を志しているため、その職業の話をして、僕は話についていけません。

 

だからといって、「仕事の話してないで、思い出話しようよー!」といっても

「は?なんだこいつ」と思われるだけです。それに友人たちは日々の忙しさで思い出は色あせています。

 

これが学生時代の思い出話なら三人で話せるのに・・・

 

僕は久々に友人と集まって「みんなも仕事頑張ってるんだし、明日から頑張るか!」

とはなりません。「あぁ学生時代に戻りてぇ~ぐぬ~」となります。

 

それでも、戻れるわけないので現実を受け入れます。

だったら同窓会なんて参加しないほうがいいじゃんと思うようになりました。

 

僕は思い出を忘れてしまう友人に言いたい!

俺らの共通点はなんだ!?ここの学校で出会い、ここで同じ時を過ごしたことだろ!

 

 

人々はよく「過去は振り返るな!」なんていうが本当にそうなのだろうか?

過去は今の自分を作ってきた足跡だ。過去があるから今や未来があるんだ。

足をひっぱる過去ならいらないけど、背中を押してくれる過去だってあるんだよ。

 

人生は思い出づくり。思い出を忘れないで。